畑宿から箱根町へ
畑宿は,箱根旧街道の中で、箱根宿と小田原宿の間の山越えのための中間地点として重要な集落でした。
小田原方面から登ると、箱根旧街道はここから傾斜がさらに急になります。
茗荷屋庭園跡
畑宿の中心部にある、江戸時代の畑宿の名主の茶屋、「茗荷屋(みょうがや)」は旧街道を通行する大名などが休憩する事もありました。
山の斜面を利用した茶屋の庭園が残っています。
畑宿一里塚
畑宿の村落から旧街道が箱根宿に向かうところにあり、江戸から23里の位置を示しています。
東海道で数少ない、一対そろって現存する一里塚です。
守源寺
畑宿にある寛文元年(1661年)に建てられた日蓮宗の寺です。
旧街道を湯本方面から行くと、集落の最後になる位置にあります。
現在の寺の建物は昭和5年の再建で、箱根七福神の「大黒天」が祀ってあります。
駒形神社
旧街道に沿って家々が建ち並ぶ畑宿の集落のほぼ中心、本陣跡のすぐ横に、山の斜面の上から集落を見下ろす位置にあります。
甘酒茶屋
畑宿から3km。旧街道にある茶屋。
講談の忠臣蔵の赤穂浪士、神崎与五郎と馬子のエピソードが伝えられていますが、史実とは異なると言われています。
当時はこの場所には数件の茶屋がありました。
お玉ケ池
甘酒茶屋から1km。二子山のふもとにある別名「なずなが池」と呼ばれる池です。
旧街道から少し離れているので、昔はあまり知られていない池でした。
江戸時代、伊豆から江戸に奉公にきていたお玉という娘が、親に会いたい一心で夜間に箱根関所を越えようとして、この池の付近で処刑された事から「お玉ケ池」と呼ばれています。この逸話は近年、箱根関所の記録から史実である事と分かりました。
箱根旧街道石畳
甘酒茶屋から箱根町の間は古い石畳の道が林の中に続いています。
江戸時代には箱根に自生する小さな竹、ハコネダケを束ねて階段のように敷き、土止め、滑り止めとしていたが、往来が激しく耐える事が出来ませんでした。
そこで幕府が費用を負担して石畳に改修し、延宝8年(1680年)に完成しました。ただし、江戸防衛上の理由から、石畳はわざと平滑には作られず「石高の難所」とされました。
文久2年4(1862年)に第14代将軍、家茂が上洛する際に平滑な道に作り替えられました。