箱根の温泉地について 位置、特徴

宿泊する温泉地

箱根湯本の温泉街と早川

 箱根温泉で宿泊施設の多い場所は下記のようになります。

 

 各地で高低差があります。気温は標高100mごとに0.6〜0.8度変わるといわれています。また、標高の高いところは風が強かったり、霧が出たりします。したがって、箱根湯本と芦之湯では気温差が4〜7度くらい異なり天候も全く異なることがあります。

 

 また、もし夕食を宿泊施設でとらない予定である時は、地域によっては食事処が事実上ないところもありますので注意が必要です。

 

地名 おおまかな標高 地形など
箱根湯本 120m 温泉街・ 国道1号線沿い
奥湯本 200m 渓谷・須雲川沿い 
塔ノ沢 150m 渓谷・早川沿い国道1号線沿い
大平台 300m 山間の傾斜地・国道1号線沿い
宮ノ下 400m 渓谷・早川沿い国道1号線沿い
小涌谷 550m 山間の傾斜地・国道1号線沿い
芦之湯 850m 山間の小盆地・国道1号線沿い
箱根町 770m 芦ノ湖の湖岸付近 
元箱根 770m 芦ノ湖の湖岸付近 
強羅 550m 山間の傾斜地 
仙石原 780m 高原・県道75号線・国道138号線沿い 
温泉荘 850m 高原の傾斜地・県道75号線沿い
湖尻・桃源台 770m 芦ノ湖の湖岸付近 

各温泉地への距離と標高

箱根湯本から箱根の各温泉地へ距離と温泉地の標高
御殿場ICから箱根の各温泉地へ距離と温泉地の標高

箱根湯本温泉

春の箱根湯本温泉

 箱根の中でも最も古くから開発された温泉場です。奈良時代738年の発見と伝えられています。
 箱根の水を集めた、早川、須雲川の合流点にあり、箱根の山にしみ込んだ雨水が温泉となり、湧き出していたものです。渓谷沿いに横穴を掘っての利用もされていました。 戦国時代の武将、北条早雲が湯治場として利用していた事から「早雲足洗いの湯」とも呼ばれていました。
 江戸時代には箱根旧街道が東海道として交通の要衝となり、箱根宿、小田原宿が箱根付近の宿場町でしたが、箱根の温泉を目当てに、わざと正規の宿場ではない箱根湯本に泊まる旅人も多く、箱根宿、小田原宿からはクレームがあったとも伝えられています。 
 当時、箱根宿は箱根芦ノ湖の湖畔にあり、温泉はありませんでした。
 古くから開発された温泉場は「湯場」と呼ばれている地区ですが、現在では箱根湯本駅周辺、須雲川沿い、旧街道沿いまでに旅館、ホテルがあります。
 温泉の泉質は単純泉、石膏泉、弱食塩泉の系統が多数派です。


塔ノ沢温泉

箱根・塔ノ沢温泉

 箱根湯本温泉は東京方面からは箱根の中で最も近い温泉場です。  箱根湯本は小田急線のロマンスカーで新宿より90分、箱根湯本駅の周辺から数キロ圏内にあり、国道1号線、箱根旧街道など、たいへん交通の便に恵まれています。  
 箱根登山電車を始め、箱根登山バス、伊豆箱根バスなど、箱根山の各地へ向かう交通機関もほとんどこの箱根湯本を経由しておりますので、箱根観光の拠点として、たいへん便利です。
 箱根湯本温泉は箱根の中でも古くから開発された温泉場で、奈良時代の発見と伝えられています。
 箱根の水を集めた、早川、須雲川の合流点にあり、箱根の山にしみ込んだ雨水が温泉となり、湧き出していたものです。
 当時は 自噴の湯、または渓谷沿いに横穴を掘って利用もされていました。 
 鎌倉時代には湯本の背後の湯坂山を経由する湯坂路が箱根権現への参詣道として賑わい、この頃から湯治場として賑わい始め、東海道が箱根を越えるようになると、その宿場町としても利用されるようになりました。
 戦国時代の武将、北条早雲も湯治場として利用していた事から「早雲足洗いの湯」とも呼ばれていました。

 

 江戸時代、東海道の旅人に認められていたのは、箱根宿と小田原宿でしたが、小田原宿も、箱根芦ノ湖湖畔の箱根宿も温泉がなかったので、温泉がある湯本宿に宿泊する旅人が多くなりました。
 この頃、箱根宿と小田原宿の旅籠(はたご)の主人達が、湯本宿での宿泊を禁止するように道中奉行に訴えた記録があります。
 この争いは湯本宿側の働きかけが実り、結果として湯本宿での宿泊が認められる事となりました。

 

 江戸時代の東海道は現在、箱根旧街道と呼ばれ、箱根細工の里として知られる畑宿や甘酒茶屋を経由して箱根町に通じています。
 箱根湯本の街中にはこの旧街道沿いに早雲寺、正眼寺といった寺があります。

 

 古くから開発された温泉場は「湯場」と呼ばれている地区ですが、現在の箱根湯本の街は早川と須雲川のふたつの渓谷に沿って、大型観光旅館、ホテルタイプ、小規模な旅館、個性派、ペンションタイプ、高級旅館といろいろなタイプの宿泊施設が揃っています。
 温泉の多くは単純泉、石膏泉、塩化物泉です。


宮ノ下温泉

箱根・宮ノ下温泉

 箱根の中心部にあり、すでに江戸時代には、周辺の木賀、底倉、堂ヶ島と共に「箱根七湯」として知られていました。
 早川と、この宮ノ下でその早川に合流する蛇骨川の深い断崖などから、豊富な温泉が流れ出てしました。
 明治時代には天皇の避暑にも利用されるなど、高級避暑地として利用されるようになりました。
 明治12年に外人客専用ホテルとして富士屋ホテルが開業し、創業者の山口仙之助は箱根湯本からの人力車道を開通させ、日本で最初と言われる有料道路としました。現在の国道1号線の箱根湯本-宮ノ下間です。
 この道路の開通により、交通事情が大変良くなり、富士屋ホテル、奈良屋などの旅館を始め、外国人相手の骨董品店、写真店など、箱根の中でも大変賑わう町となりました。


小涌谷温泉

小涌谷温泉

 箱根小涌谷は明治以降に開発された温泉場です。もともと、この付近は現在の大涌谷のように地熱が高く、泥状の温泉が噴出しおり、大涌谷を「大地獄」小涌谷は「小地獄」と呼ばれていました。
 現在の三河屋旅館の創始者、榎本恭三が牧場を作る目的で、温泉村(現在の宮ノ下付近)の村有地であったこの付近を買収しました。その後、裏山からの温泉で旅館を創業し、牧場にするつもりであった土地を広い庭園としました。
 さらに戦後、藤田観光がこの地に大きな温泉施設「箱根小涌園」をオープンさせました。


強羅温泉

強羅温泉

 箱根大文字焼で知られている温泉場ですが、温泉は昭和になってから開発されたものです。
 箱根登山電車が大正時代に開通して、旅館等が出来ましたが、温泉は箱根・早雲山、大涌谷などの噴気を利用して温泉を造成して利用していました。昭和25年に温泉のボーリングに成功しました。


芦之湯温泉

芦之湯温泉

 箱根七湯の一つとして古くから知られた温泉です。
 もともと、芦ノ湖と呼ばれる池がありましたが、埋め立てられて集落となりました。
 鎌倉時代には箱根を越える時、芦ノ湖よりこの芦の湯を経由して湯坂山に下るルートが使われました。当時は地蔵信仰が盛んであり、箱根は霊地とされていましたので、この付近には箱根石仏群と言われる、多くの史跡が残っています。
 江戸時代、箱根芦ノ湖の畔には東海道の箱根関所と箱根宿がありましたが、箱根宿には温泉がありませんでした。箱根で宿泊する事になった旅人の一部は箱根宿から移動してこの芦の湯に泊まったという事です。
 当時の資料では湯宿は6軒ほどで宿には内湯はなく、集落の中心にいくつかの共同浴場があったという事です。